本庄・柿崎家資料

本庄家と柿崎家は上杉氏に仕えた戦国時代の武家であり、ともに屯田兵として太田村に移り住みました。両家に残された文書などは戦国時代などを知ることができる貴重な資料となっています。

本庄家
桓武天皇の末裔とされる秩父畠山重宗を祖とする武家。鎌倉時代に越後国(現新潟県)の地頭となり本庄の地に城を築き、本庄(荘)を名乗るようになります。上杉家の大名として川中島の戦いや関ヶ原の戦い、大阪夏の陣など数々の合戦で武勇を挙げました。
しかし明治維新を迎えると本庄家は没落してしまいます。当主であった孝長は一大決心し、北海道の屯田兵に応募し海を渡ります。その時に、北海道へ持ち込んだ本庄家にまつわる古文書の数々は貴重なものとして、北海道立文書館に保存されています。

柿崎家
柿崎家の祖は桓武天皇の遠縁とされます。本庄家と同じく越後国は柿崎に住み、上杉家の家老として戦功を挙げていきます。とりわけ川中島の戦いで先鋒を務めた柿崎和泉守景家は、武田本隊に大打撃を与えるなどして大いに活躍しました。
明治23年に柿崎家善は屯田兵に応募し、太田村に移住することになります。その際に、もともと柿崎家で崇拝していた日本三薬師の一つである米山薬師御本尊を持ち込み堂宇を建てました。御本尊は現在でも子孫たちによって大切に祀られています。

01本庄・柿崎家

多くが寄託資料のため、資料を接写してホームページ上で公開することができません。
「鬼神」と称された本庄繁長の肖像が描かれた御札や、最も激しい戦闘となった第四次川中島の戦いでの陣取略絵図などを展示しております。

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