太田村の諸産業

太田村では馬産の他にも木炭や薪などの製材業、ミンクの毛皮事業、採石など様々な産業が行われました。現在の主産業である酪農や今も続けられている採石は、他の産業の成功と失敗を経て辿り着いたものであるといえるのではないでしょうか。

このコーナーでは、太田村の発展に繋がったこれら諸産業に関する資料を展示しています。

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主な展示資料

蚕資料
太田村には野桑が多く自生していたことから、やがて養蚕が始まりました。 しかし気候の変化により蚕が死んでしまうことが多く、養蚕事業は失敗に終わりました。 太田5の通りにある桑並木は、当時の開拓者たちが残した夢の跡です。
椎茸用こまいれ
ナラの原木に穴をあけ、そこに椎茸の種駒を打ち込む道具です。昭和3年頃にはすでに栽培が始まっていたとされ、現在でも栽培が続けられている家もあります。
木炭
太田村の開拓当初は、あちこちに木が生い茂り昼間でも暗い状態であったといいます。伐採によって発生した材木は木炭や薪、製材へと生まれ変わりました。 現在は植林活動も積極的に行われており、森を利用する時代から森を守る時代へと移り変わっています。
焼き印
太田村で牛の畜産が始まった当初、牛の放牧は共同牧場で行われていました。群れの中から自分の牛を見つけ出すためにも、焼き印は欠かせないものでした。
風おこし機
開墾が一段落した太田では風土に適する作物を探るため、小麦や大麦、アワなどの様々な穀物を作付けしました。 その穀物の皮を吹き飛ばし食用にするために使っていたのがこの機械でした。穀物の皮だけでなく、夏の暑さも吹き飛ばしていたそうです。
糸繰車
戦後の太田村はほとんどの家が綿羊を飼い、羊毛を毛糸にして手袋やセーターを作っていました。 しかし化学繊維が発達すると、羊毛は手間もコストもかかるため綿羊の飼育も衰退し、糸繰車も徐々に使われなくなりました。
ミンクの剥製
太田村では昭和30年代中頃からミンクの飼育が始まりました。当初は2つの会社が500頭ほどの規模で事業を進め、やがて国内の経済成長とともに発展していきました。 しかしミンクの管理の大変さに加え、ニクソン・ショックにより大打撃を受けた会社は太田の飼育場を閉鎖することとなりました。
タガネ
太田村の採石事業は明治時代末期から行われていました。当時はショベルカーのような重機は無いので、タガネを石に当て、ゲンノウで削り出す過酷な労働環境であったとされます。
イソアイゲンノウ
太田村の採石事業は明治時代末期から行われていました。当時はショベルカーのような重機は無いので、タガネを石に当て、ゲンノウで削り出す過酷な労働環境であったとされます。
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