屯田兵資料

 北海道の開拓を行ったのは屯田兵と呼ばれる人たちです。「屯田」とは、普段は集団で農業に従事し、戦争などが始まると軍隊として活動する制度や地域のことをいいます。太田村には石川県や山形県などから屯田兵への応募があり、慣れない気候の下、早朝から夕方まで軍務と農務に縛られた生活を強いられていました。
 また、戦争が始まればそれに出征しなければならず、特に明治37年(1904年)の日露戦争では多くの働き手が戦地へ送られました。激戦となった二〇三高地などでの旅順包囲戦で命を落とし、戸主が帰らぬ人となった家もありました。戦没者の慰霊碑は報国寺の境内に建てられ、毎年11月に慰霊法要が営まれています。
 以上のように過酷な条件の中で屯田兵たちは開墾をしていましたが、決められた土地の開墾を終えた者から希望する土地を得ることができたため、兵員は昼夜を問わず土地を開いていきました。

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主な展示資料

屯田兵之章

北海道の開拓が始まった時に、各地の屯田兵に支給されたものです。銃と刀剣が交差し、それを植物が下から包み込んでいるデザインとなっています。
 これを見ても、屯田兵は軍務と農務に従事する職業であることがわかります。

島田鍬(しまだぐわ)

開拓にあたり、明治政府から支給された官給品のひとつです。
 他には家具や寝具、種物類などがありましたが支給は最初の一度きりで、その後必要なものは農業で生計を立てて自前で揃えねばならず、生活はかなり厳しいものでした。

軍用水筒

開拓にあたり、明治政府から支給された官給品のひとつです。屯田兵はこれを手に、時には戦地へと赴いていきました。

日本帝國明治三十七八年從軍記章之證

記章とは、戦争の軍事行動への功労者に授与されたバッジのことです。この展示資料は日露戦争での記章の証書にあたり、顕彰されているのは太田村に赤松を植えた岩淵繁隆元第三中隊長です。

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