景運山国泰寺は本州から開拓に来た人々やアイヌの人たちへの教化、日本の領土主張及びロシア勢力の阻止といった様々な目的で文化元年(1804年)に江戸幕府11代将軍徳川家斉(とくがわいえなり)の命によって建てられました。国泰寺は同年に建てられたウス(現伊達市)の善光寺、サマニ(現様似町)の等樹院と合わせて「蝦夷三官寺」とも呼ばれ、道東の歴史を語る上で重要な役割を果たしています。