昭和35年10月1日
厚岸町太田5の通り23番地
太田屯田兵遺品は、明治23年(1890)に山形県をはじめ8県下から太田に入植した屯田兵(最後の士族屯田)に政府から支給された軍服や家具、開拓に必要な道具及び郷里から持ち込んだ家宝や生活用具、古文書などが含まれています。
屯田兵には、移住した時に支給される官給品のほかに、給料と食料が3年間支給されましたが、その後は、ソバ、ヒエ、大根、豆などを作って自給自足の生活を送らなければなりませんでした。
しかし、悪条件下の土地や気候の中で離村者が相次ぎ、さらに明治37・38年の日露戦争で多くの死傷者を出し、当初2,159人いた人口も明治末期には1,000人足らずになりました。
移住の際の荷物には、家宝の刀や鎧など高価なものがありましたが、苦しい生活のために売り払う人も多かったので、当時の生活を知る貴重な資料として保存されています。
車の場合、厚岸駅より約7km(太田屯田開拓記念館)
資料は太田屯田開拓記念館(0153-52-3599)に展示しています。