昭和42年10月1日
厚岸町太田1の通り(西野家)
西野家行のう帳は、明治23年(1890年)に山形県(旧新庄藩)から屯 田兵として一家で太田に入植した西野嘉太郎の弟要三郎が、亡くなった兄を偲んで昭和15年(1940年)に記した回想録です。「行のう」とは、本来郵便物を入れる袋のことですが、太田の思い出を行のうに詰め込むように記したことを意味しているようです。
全長9mの和紙の表と裏に記され、全112ページの折り本になっています。この内約50ページは絵日記風になっていて、長男の嘉太郎が18歳で家督を継ぎ、父庄左衛門の強い勧めで屯田兵になったことから書き始められています。屯田兵に応募して山形県を出発するときの様子や太田に着くまでの出来事、軍務や未開の原始林の開墾、生活の様子など墨で詳細に描かれています。
当時の生活を知る上で貴重なものとして、同家で大切に保管されています。