昭和53年11月27日
厚岸町若竹3丁目
鹿島稲荷神社祭神御堂の前身は、300年以上前に建てられた小さな祠だと言われていますが、詳しいことは分かっていません。
「鹿島」という名が付いたのは、明治30年頃ニシン漁を営むため南部(盛岡地方)より渡ってきた鹿島万兵衛が、稲荷神社の総本山の京都伏見稲荷神社から御神体の分霊を受けて祀ったからだと言われています。稲荷神社の例大祭は毎年10月2日、3日に行われ、神前には油揚げやてんぷら、御神酒、魚などが供えられます。
この御堂は、高さ1m36cm、幅96cm、奥行き67cmの木造流れ造りで、床裏に「文化二年(1805)、江戸神田紺屋町弐丁目(現東京都千代田区)宮大工七右衛門」と墨書きされています。
制作年代と制作者が明確なことや、年代的に七右衛門が国泰寺を建てた宮大工の一人である可能性があることで貴重な文化財となっています。