平成17年6月9日
厚岸町湾月1丁目5(国泰寺内)
江戸幕府が文化元年(1804年)に東蝦夷地3か所(ウス:現伊達市、サマニ:現様似町、アッケシ:現厚岸町)に新建した寺院を蝦夷三官寺と通称します。その一つ、アッケシに建立されたのが国泰寺です。国泰寺は現在の十勝総合振興局から根室総合振興局に至る地域とクナシリ・エトロフ島までを布教範囲とした臨済宗(鎌倉五山派)の寺院です(現在は、南禅寺派)。
この国泰寺に所蔵されているのが「日鑑記」をはじめとした蝦夷三官寺国泰寺関係資料です。その内訳は文書・記録類、経典類、器物類からなり、総点数829点にものぼります。
文化元年(1804年)から文久3年(1863年)までの60年間にわたり国泰寺の歴代住職によって書き継がれてきた記録「日鑑記」は、幕府の蝦夷地政策や異国船来航などに関する記述にとどまらず地震や津波、畑作物の栽培、山菜採取などについても記録されており、当時の生活を知る上でも大変貴重な資料といえます。また、アイヌ民族の人たちに関する記述も見られ、資料的価値も高いとされています。
その他、持場内の各地域に住んでいる武士、商人、出稼ぎ人などが自ら署名し寄進した「大般若経600巻」(現存469巻)は辺境における仏教に対する意識を垣間見ることができます。